条文なき50年間、裁判所はなぜ「面会交流」を認め続けてきたのか

※本記事は、南方暁「親の面会交流権を改めて考える」(法政理論46巻4号29頁、2014年)、山口亮子「面会交流権の憲法上の権利」(新・判例解説Watch民法(家族法)No.127、2022年)等の学術文献をもとに、当事務所の弁護士松野絵里子が独自にかみ砕いて解説したり、意見や感想を加えたものです。個別の問題について意見を明らかにするものではありません。個別の事案については、ご自身の弁護士に確認してください。当事務所では、親権や監護権に関しての法律相談をお受けしております。

1. 「面会交流」という言葉は、実は条文には長らく存在しなかった

共同親権シリーズ第9回で、今回の令和8年改正によって「面会交流」が「親子交流」に呼称変更され、婚姻中の別居における親子交流が明文化されたことをお伝えしました。ここで、ある事実に驚かれる方も多いのではないでしょうか。民法766条に「面会及びその他の交流」という言葉が初めて書き込まれたのは、平成23年(2011年)の改正、つまりごく最近のことです。それ以前の民法には、「面会交流」はおろか「面接交渉」という言葉すら、一度も登場したことがありませんでした。

条文に根拠がないのに、裁判所はなぜ半世紀近くにわたって、離れて暮らす親子の面会交流を認め続けてきたのでしょうか。今回は、その解釈の積み重ねの歴史をたどってみます。

2. 起点:昭和39年、東京家裁の審判

面会交流(当時は「面接交渉」と呼ばれていました)を最初に認めたとされるのは、東京家裁昭和39年12月14日審判(家庭裁判月報17巻4号55頁)です。離婚調停が成立するまで子を監護してきた母(親権者とはならなかった)が、離婚から1年後、親権者となった父に対し、6歳の息子との面会を求めた事案でした。相手方である父は、これを拒否すべき正当な理由が特にないにもかかわらず拒絶していました。家裁は、この請求を認めました。

ここで裁判所が使った手続き上の根拠が重要です。当時の家事審判法9条1項乙類4号は、「子の監護に関する処分」について家庭裁判所が審判できると定めていました。裁判所は、面会交流を求める申立てを、この「監護に関する処分」の一種として扱うことで、明文の根拠がないまま審理の対象とする道を開いたのです。

3. 手がかりは「監護について必要な事項」という一般条項

当時の民法766条(現在まで基本構造は同じです)が定めていたのは、「子の監護をすべき者、子の監護に要する費用の分担その他監護について必要な事項」を父母の協議で定める、というものでした。ここには「面会」や「交流」という言葉は一切出てきません。しかし裁判所は、「監護について必要な事項」という抽象的な文言を広く読み込むことで、面会交流をこの条文の射程に取り込んでいきました。

もっとも、当初から解釈が一致していたわけではありません。面会交流の権利性自体を否定した先例(大阪高裁昭和43年12月24日決定、家庭裁判月報21巻6号38頁)もあり、「面会交流は法律上の権利とはいえず、家事審判法9条にいう審判事項とすべきではない」とする立場も示されていました。

4. 50年間で積み重ねられた理論構成

明文の根拠がないまま実務が積み重なる中、学説・裁判例は、面会交流をどう理論づけるかを巡って様々な立場を展開しました。共同親権シリーズ第9回でも紹介した通り、親固有の自然権とする説、監護に関連する権利とする説、親権・監護権の一部とする説、子の権利とする説、そして親の権利であり子の権利でもあるとする複合的権利説など、多くの立場が並立してきました。

この間、最高裁も重要な判断を示しています。最高裁昭和59年7月6日決定は、面接交渉を認めるかどうかは民法の解釈適用の問題であって、憲法違反の問題は生じないとしました。そして最高裁平成12年5月1日決定(民集54巻5号1607頁)は、面会交流を「子の監護の一内容」と位置づけ、離婚前の別居中であっても、民法766条を類推適用してこれを命じることができるとしました。この決定が、明文なき時代における実務の到達点だといえます。

5. なぜ裁判所は認め続けたのか 発達心理学の後押し

条文の根拠が薄弱であったにもかかわらず、裁判所が半世紀近くにわたって面会交流を認め続けてきた背景には、法律家の理論構成だけでなく、子の発達にとって別居親との継続的な関わりが重要であるという認識が、法律家と心理学の専門家の間で共有されてきたことがあると指摘されています。子どもの人格形成、アイデンティティの確立、他者との関係を築く能力の発達において、実際に世話をする父母以外にも、離れて暮らす親との関わりが一定の意義を持つとする発達心理学の知見が、実務の解釈を後押ししてきた側面があるといえます。

6. 平成23年改正:ついに条文に「交流」の文字が入る

こうした約50年にわたる実務の積み重ねを経て、平成23年(2011年)の民法改正により、766条1項に「父又は母と子との面会及びその他の交流」という文言が、初めて明文で書き込まれました。あわせて、この協議・審判にあたっては「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」ことも明記されました。

松野弁護士のコメント:この改正は、新しい権利を創設したというより、半世紀にわたって裁判所が積み重ねてきた実務を、条文の形で追認・明文化したものだったと理解するのが正確だと思えます。「権利性」そのものが条文上明記されたわけではなく、あくまで協議・審判の対象事項として「交流」という言葉が加わったにとどまる、という点は、共同親権シリーズ第9回で扱った権利の帰属主体を巡る議論が、この改正後もなお続いてきたこととも整合的です。

7. 平成23年改正後の展開①:間接強制という「実効性」の獲得

条文に明記されただけでは、実際に取り決めが守られるとは限りません。平成23年改正後、実務上大きな意味を持ったのが、面会交流の取り決めに対する間接強制(履行しない場合に金銭の支払いを命じる形で心理的に履行を促す強制執行の方法)が認められるかどうかという論点でした。

最高裁平成25年3月28日、最高裁第一小法廷は同日に3件の決定を出し、面会交流に関する審判・調停について、その性質上、間接強制をすることができないわけではないと判断しました。ただし、無条件に認められるわけではなく、面会交流の日時・頻度、各回の時間の長さ、子の引渡しの方法等が具体的に定められているなど、監護親がすべき給付の内容が特定されているといえる場合に限り、間接強制決定をすることができるとされました(民集67巻3号864頁ほか)。逆に、内容の特定が不十分な取り決めについては、間接強制は認められないとされた事案もありました。

松野弁護士のコメント:この決定は、面会交流を巡る実務にとって大きな転機になったと考えられます。それまでは、取り決めをしても相手が応じなければ実効的な手段に乏しいという声が多くありましたが、この決定以降、間接強制の申立てが実際に活用されるようになりました。もっとも、間接強制を可能にするためには、取り決めの内容を「月1回程度」といった抽象的な表現ではなく、日時・頻度・時間・引渡し方法まで具体的に特定しておく必要があります。取り決めを作成する段階から、将来の強制執行まで見据えた具体性を意識しておくことが、実務上非常に重要なポイントです。

なお、子ども自身が面会交流を拒絶する意思を示している場合に間接強制が妨げられるかについても、最高裁は、審判時と異なる事情が生じたといえる場合は、面会交流を禁止する新たな調停・審判を申し立てる理由にはなり得るとしつつ、それ自体は既存の審判に基づく間接強制を妨げる理由にはならないとしました。一方で、下級審では、子どもが面会交流拒否の意思を強固に形成していることを理由に間接強制の申立てを却下した例(大阪高裁平成29年4月28日決定)もあり、子の年齢や意思の強固さによって判断が分かれる、繊細な領域であることがうかがえます。

8. 平成23年改正後の展開②:「原則実施論」の台頭とその見直し

もう一つ、平成23年改正後の実務史として重要なのが、いわゆる「面会交流原則実施論」を巡る展開です。

平成20年前後から、東京家裁を中心に、「別居親と子との面会交流は基本的に子の健全な育成に有益なものであり、実施によりかえって子の福祉が害されるおそれがあるといえる特段の事情がある場合を除き、面会交流を認めるべきである」という考え方が、裁判所実務に広がっていきました。平成24年に発表された東京家裁裁判官らによる論文が、この考え方の普及に大きく寄与したとされています。この論文では、「特段の事情」として、非同居親による連れ去りのおそれ、過去の子への虐待、同居親へのDVによる深刻な精神的ダメージなどの類型が挙げられていました。

しかし、この「原則実施論」は、次第に批判にさらされるようになります。「原則として実施すべき」という枠組みが独り歩きし、同居親の抱える事情への配慮を欠いた調停運営につながっているとの指摘が、DV・虐待被害の当事者団体などから寄せられるようになりました。「特段の事情」という表現は、法律家の間では立証のハードルが高い例外的な場合を指す言葉として使われており、この立証ができない限り原則として面会交流を実施する方向で調整が進む、という運用が、被害を訴える同居親にとって大きな負担になっていたのです。

こうした批判を受け、令和2年(2020年)6月、東京家裁の裁判官らから、新たな運営モデルを提案する論文が発表されました。この新モデルでは、(1)調停運営に際してニュートラル・フラットな立場で臨むこと、(2)「面会交流を実施することが子の利益に資する場合」にではなく「面会交流を実施することにより子の利益に反する事情があるといえない場合」に交流の具体的な調整に進むこと、(3)当事者双方から丁寧に事情を聴取し、慎重に検討するプロセスを踏むこと、が提案されています。

松野弁護士のコメント:この新モデルについては、法律家の間でも評価が分かれています。「特段の事情」という表現こそ消えましたが、実質的には「子の利益に反する事情がない限り交流を実施する」というスタンス自体は維持されているとの指摘もあり、積極的に子の福祉に合致することが立証されない限り実施を認めるべきではない、とする立場からはなお批判があります。もっとも、現役の裁判官からも、連れ去りのおそれが高い事情がある場合には第三者機関の関与などで実施可能性を探るのではなく、面会交流自体を拒否すべきだとする意見や、子ども自身が示す拒否の意向を安易に「真意ではない」と扱うべきではないとする意見が示されるようになっており、原則実施論が主流であった時期(おおむね平成25年頃から平成29年頃とされています)と比べると、子の利益に反する事情がより認められやすい方向に運用が変化している可能性があります。この運用の変遷は、DVや虐待の被害を訴える方にとって重要な実務動向ですので、個別の事案でどのような運用がされるかは、最新の実務に詳しい弁護士に確認することをお勧めします。

9. 「子の利益に反する事情」に、監護親の心情は入っていないか

新モデルは「面会交流を実施することにより子の利益に反する事情があるといえない場合」に交流の調整に進む、という枠組みを採用しています。ここで避けて通れない疑問があります。この「子の利益に反する事情」の判断の中に、実質的には監護親自身の心情、相手への不信感、嫌悪感、恐怖心が紛れ込んでいるのではないか、という問題です。

実務上の一般的な整理としては、監護親の単なる嫌悪感は、それだけでは面会交流を制限する事由にはならないとされています。面会交流はあくまで子の利益のために行われるべきものであり、父母間の感情的な対立や、養育費の不払いといった夫婦間の問題とは、法律上切り離して扱うべきだという考え方が前提にあります。相手に対して「会わせたくない」という気持ちを持つこと自体は自然な感情だとしても、それだけでは正当な拒否理由として認められません。

しかし、この整理は、言葉で言うほど単純ではありません。「原則実施論」の時代に挙げられていた「特段の事情」の類型の中には、同居親がPTSDを発症しており、面会交流を実施すると病状が悪化して子に悪影響を及ぼす場合、という類型が含まれていました。つまり、監護親の心理状態そのものが、子の利益に関わる事情として正面から考慮され得ることは、以前から認められていたのです。ここで問題になるのは、「監護親の単なる嫌悪感」と「監護親の心理状態が子の生活環境に及ぼす具体的な悪影響」を、実際の審理の中でどう見分けるかという点です。

この線引きは、特にDVや虐待の主張が客観的な証拠で十分に裏付けられていない事案において、大きな難所になります。監護親が抱く恐怖心や強い拒否感が、実際には正当な被害体験に基づくものであっても、客観的な立証が難しい場合、審理の場では「単なる嫌悪感・感情論」として軽く扱われてしまうリスクがあります。逆に、面会交流に協力したくないという感情が先にあり、それを心理的な悪影響として構成しようとする主張がなされる可能性も、理論上は否定できません。新モデルが「当事者双方から子をめぐる一切の事情を丁寧に聴取しながら慎重に検討する」というプロセスを重視しているのは、まさにこの線引きの難しさに向き合うための工夫だと理解できますが、それでもなお、運用によって結論が左右されやすい、繊細な領域であることに変わりはありません。

比較法:アメリカでは、心情はさらに明確に切り分けられている

この線引きの難しさは日本特有の問題というわけではありませんが、アメリカの実務は、この点についてより明確な建て付けを取っています。多くの州の実務解説では、「個人的な感情的対立」や、監護親が抱く単なる不信感・非難感情は、面会交流(visitation)を拒否する正当な理由には当たらないと明確に位置づけられています。子の安全や利益に直接関わらない個人的な対立は無効な理由として整理され、これのみを理由に一方的に面会交流を拒否した監護親は、裁判所侮辱(contempt)や制裁の対象になり得るとされています。

さらに構造的に重要なのは、アメリカでは、いったん裁判所が面会交流を命じた後は、監護親が自らの判断だけでこれを拒否することが原則として許されない、という建て付けになっている点です。監護親が「子にとって危険だ」と考える場合、取るべき手段は自己判断での拒否ではなく、裁判所に対して取り決めの変更(modification)を申し立てることとされています。この申立てには、単なる心情ではなく、状況の重要な変化や、虐待・薬物依存等の具体的な証拠が必要とされます。

つまりアメリカの制度は、「心情か、子の利益に関わる事情か」という評価を、面会交流の実施段階で監護親の裁量に委ねるのではなく、変更を求める側が裁判所に対して証拠をもって積極的に立証するという手続構造によって、切り分けようとしていると理解できます。日本の「反する事情があるといえない場合」という消極的な言い回しの枠組みと比べると、アメリカの「まず実施し、変更したい側が立証責任を負って裁判所に申し立てる」という構造は、心情と事実の切り分けをより明確な手続的ルールに落とし込んでいるといえるかもしれません。

松野弁護士のコメント:この論点は、DV・虐待の被害を訴える方からのご相談で、実際に難しさを感じる部分です。「怖くて会わせたくない」という気持ちを、審理の場で「単なる感情論」として片付けられてしまうのではないかという不安を抱く方は少なくありません。一方で、面会交流が子の利益のための制度である以上、「会わせたくない」という感情それ自体を無制限に理由として認めることもできません。重要なのは、恐怖や不安の背景にある具体的な事実関係(いつ、どのような出来事があったか、それが今の生活や心身にどう影響しているか)を、感情の言葉だけでなく、可能な限り具体的な事実として整理し、伝えていくことだと思えます。この整理を早い段階から弁護士とともに行っておくことが、審理の場で「単なる心情」として片付けられてしまうリスクを減らすことにつながります。アメリカの制度に見られるような「まず立証、それから変更」という明確な手続構造は、日本の実務にとっても参考になる部分があるのではないかと感じられます。

今回(令和8年)の改正へのバトン

こうして振り返ると、令和8年施行の今回の改正は、決して唐突なものではなく、半世紀以上にわたる「明文なき解釈の時代」と、平成23年改正後の「明文化・実効化の時代」の、その先に位置づけられるものだということが見えてきます。共同親権シリーズ第9回で扱った、婚姻中の別居における親子交流の明文化(民法817条の13)は、明文がなかった別居中の場面に、ついに正面から条文の根拠を与えるものです。また、家庭裁判所が試行的実施を促すことができる制度(家事事件手続法152条の3)は、平成25年決定以降に発展してきた「取り決めをいかに実効化するか」という関心の延長線上にある改正だと位置づけることができます。

半世紀にわたる解釈の積み重ねと、その時々の実務の見直しの歴史を知ることは、単なる制度の背景知識にとどまらず、今回の改正がどのような実務上の課題を引き継いでいるのかを理解するうえでも、大きな意味を持つと言えるように思います。

10. 権利としての構成が変える実務 人格尊重義務との接続

ここまで見てきた通り、日本において面会交流は、判例上「子の監護の一内容」と位置づけられるにとどまり、共同親権シリーズ第9回で扱った通り、子どもの権利として明確に構成されてきたわけではありません。この権利としての基礎の弱さは、実務上、ある種の不均衡を生んできたのではないかと感じられます。すなわち、面会交流を求める側に明確な「権利」があるという構成がされてこなかったからこそ、これを阻止する側の理由(例えば「別居親と会うことで精神的に不調になる」という、必ずしも客観的な検証がしやすいとは限らない理由)が、比較的通りやすい構造があったのではないか、というのが当職の見立てです。

もし面会交流が明確に子どもの権利として組み立てられるのであれば、その帰結として、父母双方に、その権利を実現するための積極的な義務(実現義務)が課されることになります。「反対する理由がなければ実施する」という消極的な構成から、「子の権利である以上、これを実現するために父母が協力しなければならない」という能動的な構成への転換です。

ここで、今回の改正が持つ意味を、改めて考えたいと思います。第1回で扱った通り、817条の12は、父母相互の人格尊重・協力義務を明文化しました。これは面会交流固有の規定ではありませんが、親権行使全般にわたって、父母が互いを人格として尊重し協力しなければならないという規律を及ぼすものです。この人格尊重・協力義務の存在を前提にすると、「心情的に会わせたくない」という理由だけで面会交流の実施を阻止することは、これまでよりも正当化しにくくなるのではないか、と見受けられます。単なる嫌悪感や心情的な抵抗は、相手の人格を尊重する義務との関係で、それ自体では「反する事情」として認めがたいものとして扱われる方向に、実務が動いていく可能性があるのではないでしょうか。

もちろん、この予測は、今回の改正が面会交流固有の規定ではないという性質上、あくまで当職の見立てにとどまります。人格尊重・協力義務が、面会交流を巡る「反する事情」の判断に、どこまで、どのような形で影響を及ぼすのかは、今後の審判例・裁判例の集積を待つ必要がある分野です。

11. 虐待事案でこそ必要なのは「拒絶」ではなく、迅速な専門的評価と「親子統合」への支援ではないか

もう一つ、踏み込んで論じておきたい論点があります。子への虐待が疑われる事案について、これまでの実務は、多くの場合「面会交流を実施するか、しないか」という二者択一で語られてきました。しかし当職は、虐待事案においてこそ本来必要とされるのは、単純な実施・拒否の二択ではなく、専門的な支援を伴う「親子統合(reunification)」への道筋ではないかと考えられます。

虐待の内容や程度、それが解消されているかどうかは事案によって大きく異なりますが、加害行為が客観的に確認された後であっても、専門家の関与のもとで段階的に関係を再構築していくことが、子の利益にかなう場合は十分にあり得ます。第9回で扱ったドイツ法(BGB1684条)では、家庭裁判所が、面会交流の実施にあたり、協力的な第三者(児童福祉機関や団体を含む)の立会いを条件として命じることができる仕組みが用意されています。こうした専門的な第三者機関の関与を前提とした支援付き交流の制度は、実施か拒否かという単純な二択を回避し、安全性を確保しながら関係修復の可能性を探る、実務的な選択肢を提供するものです。

これに対し、日本の実務でこうした専門的な支援体制が十分に整っているとは言い難いのが現状です。家庭裁判所調査官は個別の調査は行いますが、継続的な親子関係の再構築を専門的に支援する機関・人材は限られており、児童相談所についても人員面での制約がしばしば指摘されています。結果として、「危険なので実施しない」という判断と、「反する事情が認められないので実施する」という判断の、二極化した運用にならざるを得ない場面があるのではないか、というのが当職の懸念です。虐待事案において本当に必要とされているのは、拒否か実施かの二択ではなく、専門的な支援を伴う段階的な関係修復の選択肢を、実務として整備していくことではないかと考えられます。

ただし、ここでも安全確保が最優先であることは強調しておかなければなりません。加害行為が現に継続している、あるいはそのおそれが払拭されていない段階での接触の強制は、子の安全を危険にさらしかねず、本末転倒です。当職がここで述べているのは、専門家による丁寧なリスク評価を前提として、安全性が確保できると判断された場合に選択できる支援体制の整備が、日本にはまだ不足しているのではないか、という問題提起です。

この文脈で、もう一点付け加えたいことがあります。専門的な支援体制の整備と並んで重要なのは、そのリスク評価自体を、できる限り早い段階で行うということです。実務上、面会交流を巡る調停が、父母双方の言い分を聞き取る話し合いだけで長期間$2014$2014時には1年近く$2014$2014続けられ、その間、子ども自身への面接調査が行われないまま推移するケースが見受けられます。しかし、いかなるリスクが実際に存在するのか、あるいは存在しないのかは、本来、子ども本人と専門家(家庭裁判所調査官等)が直接向き合わなければ、正確に把握することができないはずです。父母それぞれの言い分だけを聞き続ける手続が長期化し、子ども自身の状況把握が後回しにされることは、リスクが現にある場合には子の安全確保を遅らせることになりますし、逆にリスクがない場合には、子が別居親との関係を安心して築けたはずの時間を、いたずらに失わせることにもなります。いずれの方向に転んでも、子の利益を害する結果を招きかねません。専門家によるリスク評価、とりわけ子ども本人との面接を伴う調査は、手続の初期段階でこそ、優先的に行われるべきだと思えます。

この分野の支援体制がどこまで拡充されていくかも、今後注視していきたいと思います。

12. まとめ

「面会交流」という言葉が民法に書き込まれたのは、平成23年というごく最近のことです。それまでの半世紀近く、裁判所は「監護について必要な事項」という一般条項を手がかりに、発達心理学の知見にも支えられながら、解釈によって面会交流を認め続けてきました。平成23年の明文化後も、間接強制の可否や「原則実施論」を巡る運用の見直しなど、実務は現在進行形で発展を続けています。今回の令和8年改正も、この長い歴史の延長線上にあるものです。面会交流を巡るご事情でお悩みの場合は、お早めに無料相談をご利用ください。

参考文献

  • 南方暁「親の面会交流権を改めて考える」法政理論46巻4号29頁(2014年)
  • 山口亮子「面会交流権の憲法上の権利」新・判例解説Watch 民法(家族法)No.127(2022年4月)
    https://lex.lawlibrary.jp/commentary/pdf/z18817009-00-041272116_tkc.pdf
  • 東京家裁昭和39年12月14日審判(家庭裁判月報17巻4号55頁)
  • 大阪高裁昭和43年12月24日決定(家庭裁判月報21巻6号38頁)
  • 最高裁昭和59年7月6日決定(家庭裁判月報37巻5号35頁)
  • 最高裁平成12年5月1日決定(民集54巻5号1607頁)
  • 最高裁平成25年3月28日決定(民集67巻3号864頁ほか)
  • 大阪高裁平成29年4月28日決定
  • 細矢郁ほか「面会交流が争点となる調停事件の実情及び審理の在り方――民法766条の改正を踏まえて」家庭裁判月報64巻7号1頁(2012年)
  • 細矢郁ほか「東京家庭裁判所における面会交流調停事件の運営方針の確認及び新たな運営モデルについて」家庭と法の裁判26号129頁(2020年)
  • 監護親の嫌悪感が面会交流の制限事由とならないとする実務上の整理について:横浜家裁平成14年1月16日審判ほか、複数の法律事務所解説記事を参考に確認
  • アメリカの面会交流拒否・変更手続に関する実務解説:LegalZoom, LegalMatch等の一般向け法律解説サイトを参考に確認。州法により異なるため一般化には限界があります

📝 監修者(最終更新日:2026年7月)

松野絵里子 弁護士|東京ジェイ法律事務所
国内最大手の渉外法律事務所にて20年以上経験を積み、離婚・財産分与・国際離婚・富裕層の資産分割など複雑案件を多数手がける。現在はオンライン対応・全国対応で離婚専門の法律相談を提供。費用の透明性にもこだわり、複雑な財産分与事案の和解的解決も得意な弁護士。共同親権の推進でも経験が多く、知名度がある。

記事監修者: 弁護士 松野 絵里子

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