【判例紹介】医師2名の立会いがあっても、公正証書遺言は無効になり得るか

東京地判令和6年9月11日(令和2年(ワ)第30101号、遺言無効確認請求事件)

① 事案の概要

被相続人B1(母)は、生前3通の公正証書遺言を作成していました。平成25年2月14日付けの公正証書遺言①は、全財産を長女である原告に相続させる内容でした。ところが、平成28年10月5日付けの公正証書遺言②では、遺言①の全部を撤回し、全財産を長男である被告に相続させるという、正反対の内容に変更されています。

B1は、平成28年8月12日、アルツハイマー型認知症と診断され(長谷川式認知症スケール〔HDS-R〕14点)、平成29年7月には東京家庭裁判所の鑑定を経て後見開始の審判を受けています。公正証書遺言②は、この診断のわずか2か月後に作成されたものでした。

その後、被告側は、後見開始により②の効力に疑義が生じる可能性を考慮し、平成30年4月23日、民法973条1項に基づき医師2名の立会いの下で、マンションを被告に相続させる旨の公正証書遺言③を作成しました(成年被後見人が「事理を弁識する能力を一時回復した場合」の遺言に関する規定です)。

原告は、遺言②③がいずれもB1の遺言能力を欠く状態で作成されたとして、無効確認及びこれに基づく登記の抹消登記手続を求めました。裁判所は、遺言②③のいずれについても遺言能力(事理弁識能力の一時回復)を否定し、原告の請求をすべて認容しました。本記事では、認知症の進行が明らかな中での遺言能力の判断、及び民法973条1項の医師立会いによる「事理弁識能力の一時回復」の認定がいかに厳格に審査されるかという2点に焦点を当てて説明します。

② 争点

争点1:公正証書遺言②作成時(平成28年10月5日)、B1に遺言能力があったか

争点2:公正証書遺言③作成時(平成30年4月23日)、B1は事理を弁識する能力を一時回復していたか(民法973条1項)

③ 裁判所の判断

(1) 公正証書遺言②について ― 「日常会話ができた」だけでは判断能力の欠如という認定は覆らない

裁判所は、まずB1の認知機能の状態について、複数の医学的所見を積み重ねて認定しています。遺言②作成の約2か月前(同年8月12日)、B1はHDS-R14点、MMSE16点を取得し、MRI上の脳萎縮・大脳白質病変も認められ、医師から「事理弁識能力に大きく支障を来たしている状態」と診断されていました。また、後見開始審判のために平成29年7月に実施された鑑定(HDS-R16点、MMSE19点)では、「自己の財産を管理、処分することはできない」と判定されています。これらを踏まえ、裁判所は次のとおり判断しました。

「L1医師は,各種認知機能検査の点数が大略変わっていないのであれば,アルツハイマー型認知症の進行程度も同様であるとの意見を述べており,実際にも,B1には,平成28年8月頃から,被告夫婦との面会内容を記憶していないなど記憶力が相当程度低下している様子や,物盗られ妄想が出現している様子が認められ,遅くとも,本件公正証書遺言②の作成日である同年10月5日時点では,アルツハイマー型認知症により,後見開始が相当な状態にあり,遺言をするために必要な判断能力を欠く常況にあったものと認められる。」

被告は、公証人との間で日常会話が成立していたことを遺言能力の根拠として主張しましたが、裁判所はこれを次のように退けています。

「A1公証人は,B1が当時,アルツハイマー型認知症にり患しているとの診断内容を把握しておらず,その観点からB1の遺言能力について検討した形跡は窺えない。また,A1公証人は,B1との間で会話ができた旨を供述するものの,L1医師も,B1の意識が清明で,疎通性は良好であることを認めた上で,記憶力や見当識についての回答,知能検査,心理学的検査の結果を踏まえて,B1の認知能力が中等度以上に低下し,自己の財産を管理,処分することはできないと鑑定していることから,B1との間で日常的な意思疎通が可能であったとの一事をもって,遺言をするために必要な判断能力を欠く常況にあったとの前記認定が覆されることはない。」

「意識清明」「疎通性良好」という表面的な会話の成立は、記憶力・見当識・財産管理能力の低下という実質的な判断能力の欠如とは矛盾しないという整理です。公証人が認知症の診断内容を把握しないまま作成に立ち会っていたことも、遺言能力判断の信頼性を減殺する事情として指摘されています。

さらに、遺言②の内容自体は「全財産を被告に相続させる」という単純なものでしたが、裁判所は、直前の遺言①(全財産を原告に相続させる)と正反対の内容であることを重視し、次のとおり判断しました。

「B1は,平成25年に,全財産を原告に遺贈する旨の正反対の内容の遺言を作成しており,……B1において,これを撤回し,本件公正証書遺言②を作成するに至った経緯が自然で合理的であるとは認められない。」

被告側は、原告からの精神的圧迫から解放されたことによる「心変わり」を主張しましたが、裁判所は、B1が施設入所後も長期間にわたり被告夫婦との面会を拒否し続けていた事実関係と整合しないとして、この主張を退けています。遺言内容が単純であっても、直前の遺言との内容的な落差が大きく、その心変わりの経緯に合理性が認められない場合には、遺言能力を肯定する事情としては働かないことが示されています。

(2) 公正証書遺言③について ― 医師立会いという形式が実質を保証するとは限らない

遺言③は、民法973条1項の規定に従い、医師2名の立会いの下で作成され、遺言書にも事理弁識能力の一時回復を確認した旨が付記されていました。しかし、裁判所は、この形式的な適正さが実体を保証するものではないとして、次のとおり判断しています。

「I1医師は,本件訴訟の証人尋問において,B1と世間話をした結果,当意即妙的にレスポンスがあることから高次脳機能に支障がないと判断した,……と供述する。しかし,……L1医師は,B1との疎通性が良好であることを認めた上で,記憶力や見当識についての回答,知能検査,心理学的検査の結果を踏まえて,B1の認知能力が中等度以上に低下していると鑑定していることから,B1が世間話に対応できることをもって事理弁識能力を一時回復したということはできず,他に,B1が本件公正証書遺言③作成時に事理弁識能力を一時的に回復していたことを裏付けるに足りる医学的な根拠は見当たらない。」

さらに、立会い医師の一人(J1医師)は美容皮膚科を専門とする医師であり、精神障害やそれに伴う事理弁識能力についての専門性を欠いていたこと、裁判所からの複数回の問い合わせに何ら回答しなかったことも指摘されています。

裁判所は、実際の遺言作成時の会話記録(録画)にも踏み込み、B1の応答パターンを詳細に検討しています。次のようなやり取りが認定事実として引用されています。

「B1は,A1公証人からの質問に対し,A1公証人と以前に会ったことや公正証書遺言を作成したことは忘れたと話し,自身の財産について質問されると,「全然持っていない。」,「C1マンションは借りている。」などと話した。」

「A1公証人は,B1が当時,アルツハイマー型認知症にり患しているとの診断内容を把握しておらず……」(前掲)

「A1公証人が,「今日はね,『弟さんがね,自分にくれという遺言を作るように言ってるんですけど』っていうお話だったんだけど。」と話すと,B1は直前の回答を翻して「いいですよ。」と回答し,A1公証人から,先ほどは二人にあげると言ったのではないかと質問されると「分かんないです。忘れちゃう。」と回答した。」

このほかにも、被相続人が「二人にあげる」「K1(被告)に」「それでもいい」といった応答を、質問者や質問の仕方によって二転三転させる様子が、複数の医師・公証人とのやり取りにわたって記録されています。裁判所は、これらの会話記録を踏まえ、次のとおり結論付けました。

「前記認定事実によれば,B1は,本件公正証書遺言③作成当時,自身が有する財産を把握しておらず,C1マンションを遺贈する相手についても,質問者が質問する度に回答が変わり,相手に迎合するような傾向も見られ,当時,B1において,事理弁識能力を一時回復した上で,C1マンションを被告に遺贈する旨の意思を有していたと認めることはできないというべきである。」

質問者ごとに回答が変化し、直前の発言も記憶していないという応答パターンそのものが、事理弁識能力の一時回復を否定する直接的な証拠として機能している点が、本判決の大きな特徴です。医師の立会いという手続的な保障があっても、実際の受け答えの内容が伴わなければ、事理弁識能力の一時回復は認められません。

④ 実務への示唆

第一に、公証人や立会い医師との「会話が成立した」という事実は、それだけでは遺言能力を根拠付けません。 本判決は、意識清明・疎通性良好という表面的な会話の成立と、財産管理・処分能力という実質的な判断能力とを明確に区別しました。遺言能力を立証する際は、単なる会話の成立ではなく、財産の把握、受遺者の特定、意思決定の一貫性等、実質的な判断能力を裏付ける具体的なやり取りの記録が必要です。

第二に、公証人が遺言者の認知症診断の内容を把握しないまま遺言を作成した場合、その遺言の信頼性は大きく減殺されます。 本判決は、公証人が認知症の診断内容を認識していなかったことを、遺言能力判断の限界を示す事情として指摘しています。認知症の既往がある依頼者の遺言作成を支援する際は、公証人に対して事前に医学的な状況を正確に共有し、その観点からの遺言能力の検討を依頼することが重要です。

第三に、民法973条1項の医師立会いは、精神医学的な専門性を伴う実質的な確認でなければ、その付記の効力は限定的です。 本判決は、専門外の医師(美容皮膚科医)による立会い・確認について、その判断の医学的根拠を欠くと評価しました。成年被後見人による遺言作成を支援する場合は、立会い医師の専門性(精神科医、老年科医等)を確保し、事理弁識能力の一時回復について実質的な評価を得ることが不可欠です。

第四に、遺言作成時の会話記録(録音・録画)は、事理弁識能力の有無を判断する上で極めて重要な証拠になります。 本判決では、実際のやり取りの逐語的な記録が残っていたことで、被相続人の応答が質問者や質問の仕方によって変動する「迎合的」なパターンが可視化され、事理弁識能力の一時回復の否定に直結しました。遺言能力に疑義が生じ得る依頼者の遺言作成に立ち会う場合は、後の紛争に備え、やり取りの過程を録音・録画等で記録しておくことが、遺言の有効性を担保する上でも、逆に無効を争う上でも、決定的な証拠となり得ます。

第五に、直前の遺言と内容が正反対である場合、心変わりの経緯について合理的な説明ができなければ、遺言能力の存在を推認させる事情としては機能しません。 本判決は、遺言②が直前の遺言①と正反対の内容であったことについて、その心変わりの経緯の合理性を厳しく審査しました。認知症の進行が疑われる時期に、それまでの意思表示と大きく異なる内容の遺言が作成された場合には、単に遺言内容が単純であることのみに頼らず、心変わりの経緯を裏付ける客観的な事情(本人の発言記録、関係性の変化を示す資料等)を準備しておく必要があります。


本記事は公刊された裁判例に基づく分析であり、個別事件への当てはめについては別途ご相談ください。

作成者: 弁護士 松野 絵里子

📝 監修者(最終更新日:2026年7月)

松野絵里子 弁護士|東京ジェイ法律事務所
国内最大手の渉外法律事務所にて20年以上経験を積み、離婚・財産分与・国際離婚・富裕層の資産分割など複雑案件を多数手がける。現在はオンライン対応・全国対応で離婚専門の法律相談を提供。費用の透明性にもこだわり、複雑な財産分与事案の和解的解決も得意な弁護士。共同親権の推進でも経験が多く、知名度がある。

記事監修者: 弁護士 松野 絵里子

プロフィールはこちら >>

◆ 海外案件の経験が豊富
━━━━━━━━━━━━
国内最大手での経験を生かし、得意な語学力で複雑な家事事件から英文契約の確認などの企業法務まで経験豊富です。

◆身近で高品質な法律事務所
━━━━━━━━━━━━
高水準の品質の法律サービスを、リーズナブルに提供いたします。

◆依頼者の立場にたち共に最適な解決の道
━━━━━━━━━━━━
依頼者の立場にたち、共に最適な解決を目指して日々研鑽しております。

関連記事
Home
Mail
相談予約
Search
💬 よくある
相続のご相談