大阪高裁判決令和3年8月27日(令和3年(ネ)第332号・第1422号)/原審:大阪家裁判決令和3年1月7日(平成29年(家ホ)第213号・第324号)
① 事案の概要
本件は、いずれも医師である夫婦(婚姻は平成8年)の離婚訴訟です。夫(原審原告・控訴人)が離婚を求めて本訴を提起したのに対し、妻(原審被告・被控訴人)も離婚を求める反訴を提起するとともに、夫の不貞行為等を理由とする慰謝料及び財産分与を請求しました。
夫は、婚姻当初から約1年以上にわたりCとの不貞関係を継続し、これが妻に発覚した際には土下座して謝罪し関係を解消すると約束しましたが、その後、平成22年には研修医Dとの間で「不貞を疑われてもやむを得ない」親密な行為(人目のつかない非常階段での抱擁)に及びました。妻は、平成28年8月、子らを連れて自宅を出て別居し、離婚訴訟に至っています。
原審(大阪家裁令和3年1月7日判決)は、慰謝料300万円、財産分与5700万円の支払を命じました。これに対し、夫が控訴、妻が附帯控訴をしたところ、控訴審(大阪高裁令和3年8月27日判決)は、慰謝料を400万円に増額する一方、財産分与は5100万円に減額するという判断をしました。同じ事実関係を前提としながら、なぜ結論が変わったのか。本記事では、この原審と控訴審の判断の分かれ目に焦点を当てて解説します。
② 争点
争点1:慰謝料の額 原審が300万円と算定したのに対し、控訴審はなぜ400万円としたのか。
争点2:財産分与の額、とりわけ夫婦の自宅マンションの特有財産割合 原審が63%と認定した自宅マンションの特有財産割合を、控訴審はなぜ75%へと引き上げたのか。この認定の違いが、財産分与総額の減額に直結しています。
③ 原審と控訴審の判断の対比
(1)慰謝料 ― 考慮要素の書きぶりの違いによる増額
原審は、慰謝料額の算定要素を次のように列挙し、300万円と結論付けました。
「原告の不法行為の内容,それにより被告が被った精神的苦痛の程度,被告は本訴の応訴及び反訴の提起を余儀なくされ,弁護士費用の負担を余儀なくされたこと,本件婚姻期間,他方で,本件婚姻関係が破綻した原因ないし責任が専ら原告にあるとまではいえないことや,原告は,勤務医として稼働し,少なくとも別居までは,生活費のほか,子らの進学塾代や私立学校の授業料等,全部ではないものの相応の負担をしてきたこと,その他,本件に顕れた一切の事情を考慮すると,300万円と認めるのが相当である。」
原審は、破綻の責任が夫に「専ら」あるとまではいえないことや、夫が生活費・教育費を相応に負担してきたことを、金額を抑える方向の事情として明示的に考慮しています。
これに対し、控訴審は次のとおり判断しました。
「本件婚姻関係が破綻するに至った要因である控訴人の上記不法行為の内容及び程度,それにより被控訴人が被った精神的苦痛の程度,被控訴人が有責配偶者である控訴人から提起された本訴に応訴するとともに,反訴の提起を余儀なくされたこと,本件婚姻期間等のほか,本件に顕れた一切の事情を考慮すると,被控訴人の精神的な苦痛を慰謝するに足る慰謝料額としては400万円を下らないものと認めるのが相当である。」
控訴審の考慮要素からは、原審が明示していた「夫の生活費等の負担」という減額方向の事情が姿を消しています。その代わりに、「有責配偶者である控訴人から提起された本訴に応訴する」ことを妻が余儀なくされたという点が強調されています。婚姻関係破綻の主たる責任が夫にあるという事実認定自体は、原審・控訴審でほぼ共通していますが(原審「その主たる原因ないし責任は・・・原告にある」、控訴審「主として控訴人にあるといわざるを得ない」)、慰謝料額を算定する際にどの事情を積極要素として押し出し、どの事情を後退させるかという点の判断の差が300万円から400万円への増額という結果に表れています。
(2)財産分与 ― マンションの特有財産割合をめぐる証拠評価の逆転
財産分与総額の差(5700万円から5100万円)を生んだ最大の要因は、夫婦の自宅であるマンション(夫が婚姻前に取得し、共有持分7分5を保有)の特有財産割合の認定が、原審63%、控訴審75%と、12%も異なったことにあります。
この違いの核心は、住宅ローンの繰上返済に充てられたとされる合計1000万円(800万円と200万円)の資金について、これが夫の父からの援助(特有財産の原資)であったと認められるかという一点にありました。
原審は、この点について次のとおり判断し、夫側の主張を退けています。
「原告は,本件住宅ローン1及び2の繰上返済に当たり,原告父から本件住宅ローン2につき200万円,同2につき800万円の贈与を受けたと主張し,証拠(甲63,76,原告本人)中にはこれに沿う部分があるが,客観的な裏付けがなく,採用できない。」
原審は、陳述書や本人尋問の供述はあるものの、これを裏付ける客観的な書証(振込記録等)がないことを理由に、この1000万円の特有財産該当性をあっさりと否定しました。
ところが、控訴審は、全く同じ証拠関係を前提にしながら、正反対の判断を示しています。
「証拠(甲63,76,控訴人本人)によれば,本件住宅ローン1及び2の繰上返済に当たり,控訴人父において,本件住宅ローン1につき800万円を,同2につき200万円をそれぞれ負担して,同各返済に充てられたことが認められる(なお,これらの事実については,控訴人らの供述等の証拠があるだけで,その供述内容を裏付ける書証等の客観証拠が提出されていないものの,控訴人らにおいて10年以上も前の事実を裏付ける証拠資料を提出できないとしてもやむを得ないものであるし,そもそも,上記合計1000万円を含む繰上返済金の全額を控訴人が負担した事実を認めるに足る証拠はない。本件マンションは,控訴人が被控訴人と婚姻する前に購入したもので,控訴人父及びGが持分7分の1ずつを取得して買主となっていたものであり,その共有持分を長男に贈与している経過に照らしても,前記認定に係る控訴人父の陳述書及び控訴人本人の供述は採用できるというべきである。)」
控訴審は、①10年以上前の出来事について客観的な裏付け書証がないのはやむを得ないこと、②そもそも繰上返済金の全額を夫が負担したという反対側の事実(客観的な裏付けを欠く点では同様)も証明されていないこと、③夫の父が当初からマンションの共有持分権者(買主)として登記され、後にその持分を孫(長男)に贈与しているという関連する事実との整合という3点を理由に、書証の裏付けを欠く供述証拠を採用しました。同一の証拠(陳述書+本人供述、客観的書証なし)に対する評価が、高裁と家裁よって正反対になったという点が、本件で最も興味深い点です。
この認定の違いにより、マンションの特有財産部分の評価額は、原審の1701万円相当(63%)から、控訴審の2025万円相当(75%)へと変わり、財産分与の対象となる共有財産部分の評価額は、原審999万円 → 控訴審675万円へと、300万円以上減る結果となりました。
(3)「一切の事情」としての裁量的な考慮 ― 減額幅の違い
財産分与の総額に反映されるもう一つの違いは、民法768条3項の「一切の事情」として何を、どの程度重視するかという裁量的判断の幅です。
原審は、計算上導かれる分与額5751万1146円(原告名義純資産1億2412万6446円-分与額6661万5300円)について、「その他、本件に顕れた一切の事情を考慮して」5700万円とし、約51万円の減少にとどめています。
これに対し、控訴審は、計算上の額5557万1177円(控訴人名義財産1億2088万6446円-分与額6531万5270円)について、次の事情を「一切の事情」として考慮し、5100万円という、約457万円減としました。
「前記(3)エで認定した事情(被控訴人において,平成24年以降基準時までの間に,その間の給与収入の二,三割の貯蓄をすることができたという事情)のほか,本件婚姻関係の本拠であった本件自宅が婚姻前に控訴人らが多額の特有財産を拠出して取得されたものであったという事情を,「一切の事情」として考慮すると,本件における財産分与の額及び方法としては,控訴人に対し,5100万円を被控訴人に支払うよう命じるのが相当である。」
控訴審は、妻の推定貯蓄額(隠し財産の疑いに対する斟酌)に加えて、婚姻生活の本拠であった自宅そのものが、そもそも婚姻前の夫側の特有財産によって取得されたものであることを、独立の減額要素として明示的に加えています。同種の「一切の事情」という条項を用いながら、控訴審の方がより踏み込んだ裁量的な減額を行っている点も、本件の特徴です。
④ 実務への示唆(松野絵里子弁護士より)
第一に、慰謝料額の算定要素は、事実認定が同じでも「何をどういう理由で精神的苦痛の積極的な要素としていくか、慰謝料を減らす要因をどう考えるか」という判断の違いによって、結論の金額が変動し得ます。 本件では、破綻の主たる責任が夫にあるという事実認定自体は原審・控訴審で一致していましたが、原審が明示していた「夫の相応の家計負担」という減額事情を控訴審が踏襲せず、代わりに「有責配偶者からの応訴の負担」という要素を前面に出したことで、慰謝料が増額されています。控訴審で慰謝料の増額を求める際は、原審が用いた減額事情そのものに対する反論として相当性を欠くとか、他の事情と二重評価になっている、過少評価をした点がある等を意識した主張構成が有効と考えられます。
第二に、婚姻前の資金援助等、10年以上前の事実について客観的な書証がない場合でも、周辺の経過(登記名義、その後の贈与関係等)との整合性次第では、供述証拠が採用される余地があります。 本件の控訴審は、書証の裏付けを欠く陳述書・本人供述について、「10年以上前の事実の書証を求めるのは酷である」という一般論に加え、マンションの共有持分の取得・贈与という一連の経過との整合性を理由に、原審の判断を覆しました。特有財産の主張を行う際は、直接の支払を裏付ける書証がなくても、その主張と整合する周辺事実(登記名義の設定経緯、後の贈与・相続の経過等)を丁寧に積み上げることで、控訴審での認定の逆転を狙える可能性があることを示す事例といえます。
第三に、財産分与における「一切の事情」による調整は、審級によって適用の踏み込み方に差が出得る、裁量性の高い判断です。 原審の減額幅(計算額から約51万円)と控訴審の減額幅(計算額から約457万円)には大きな差があり、控訴審は「自宅が特有財産で取得された」という事情を新たに明示的な考慮要素として加えています。財産分与の主張においては、清算的な計算根拠(各財産の特有財産性、寄与割合等)の主張立証に加えて、「一切の事情」として考慮されるべき定性的な事情(居住用不動産の取得経緯等)を独立の主張として明確に位置づけることが、金額に相応の影響を与え得ることを踏まえた訴訟活動が求められます。
第四に、不動産取得における親からの資金援助の有無・金額は、夫婦の所得形態にかかわらず離婚の財産分与で頻出する争点ですが、実務上、これを親族本人の尋問で立証することが、容易ではありません。本人尋問以外の尋問が認められないことが多いからです。本件でも、控訴人の父自身が証人として出廷したわけではなく、その陳述書と、控訴人本人の尋問における供述という限られた証拠だけで、1000万円の資金援助という重要な事実が認定されています。離婚訴訟の実務では、親族の尋問が許されないことが多く、証拠として提出できるのは陳述書にとどまり、尋問は当事者本人(原告・被告本人)に限られるのが実情です。そのため、親の資金援助を主張する場合は、①親族本人の陳述書をできる限り具体的に(いつ、いくら、どのような経緯で拠出したか)作成すること、②本人尋問において、その陳述書の内容と整合する形で具体的に供述できるよう準備すること、③本件の控訴審が重視したような、登記名義の設定経緯やその後の贈与関係といった間接事実の積み重ねによって供述の信用性を補強することが、直接の書証(振込記録等)を欠く場合の現実的な立証方針となります。親族本人を尋問で直接に証言させられない以上、陳述書の作成精度と本人尋問での補強、そしてこれらを裏付ける間接事実の丁寧な洗い出しという、代理人弁護士の地道な訴訟準備の積み重ねが、原審・控訴審の判断を分ける決め手になり得ることを、本件は示しているといえます。
第五に、同一の証拠関係であっても、裁判官や合議体によって評価が分かれ得るという前提に立った訴訟活動が必要です。 本件は、原審と控訴審とで、証拠関係が実質的に変わらないにもかかわらず、まさに正反対の事実認定がされた例です。これは、書証の裏付けを欠く供述証拠の信用性評価という、性質上、裁判官の心証形成に委ねられる部分が大きい判断であったことを示しています。依頼者に見通しを説明する際は、「同じ証拠でも結論が変わり得る」という不確実性があることを踏まえ、一審で望む結果が得られなかった場合にも、控訴審で異なる判断が示される可能性が現実にあることを念頭に置いた対応(控訴の要否の検討、一審段階からの周辺的な間接事実の丁寧な主張立証等)が重要です。
第六に、控訴審が「本件自宅が婚姻前に控訴人らの多額の特有財産で取得されたものであったこと」を「一切の事情」として財産分与額の減額方向で考慮した点は、鳥瞰的に見ると、家族が受けてきた利益とのバランスを取ったものと理解できます。 控訴人が婚姻前から多額の特有財産を投じて取得した自宅に、婚姻後は妻子を含む家族全員が長年にわたり居住し、その居住の利益を無償で享受してきたという実質があります。清算的財産分与は、あくまで「夫婦の協力によって得た財産」を対象とする建前ですが、特有財産を投じてこの居住利益を家族に提供し続けてきた側(本件では控訴人)に対し、財産分与の場面で一定の配慮(取り分の上乗せ)がされることは、家族全体がその特有財産から得てきた恩恵とのバランスを事後的に精算するものとして、感覚的にも座りがよい判断だといえます。「一切の事情」条項は、こうした特有財産の拠出者と、その利益を共に享受してきた家族との間の衡平を、清算的な計算だけでは拾いきれない形で調整するための受け皿として機能している、と見ることができるでしょう。
本記事は公刊された裁判例に基づく分析であり、個別事件への当てはめについては別途ご相談ください。








