本件は、父である父が母であり子を監護している母に対しハーグ条約の実施法に基づいて子を常居所地国(法2条5号)であるオーストラリアに返還するよう求めた事案です。しかし、裁判所は子の常居所地国はオーストラリアであるとしたものの留置の開始前に子を日本に留置することについて父の同意があったと認めました。そのため法28条1項3号の返還拒否事由があるとされたのです。申立ては却下されています。弁護士松野絵里子が解説します。(掲載誌は、判例時報2415号48頁です。)
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1. ハーグ条約とは?
ハーグ条約とは、国境を越えて子どもが不法に連れ去られたり、留め置かれた場合(留置された場合)に、子どもを元の居住国に返還するための条約です。正式名称は「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」のことです。
2. 子の返還申立てとは?
ハーグ条約実施法26条では、「日本国への連れ去り又は日本国における留置により子についての監護の権利を侵害された者は、子を監護している者に対し、この法律の定めるところにより、常居所地国に子を返還することを命ずるよう家庭裁判所に申し立てることができる。」と定めています。
この条項によって、子の返還命令を求める申立のことです。
3. この事案の概要
父が、母であり子を監護している妻(日本人)に、日本での子の留置により「監護の権利」を侵害されたとして、ハーグ条約実施法に基づき、子を常居所地国であるオーストラリアに返還するよう求めた事案です。争点は、常居所と留置への同意があったか、でした。
4. 留置とは?
「留置」とは、期限付の約束で子どもを連れて外国に行き、約束した期限を過ぎても子どもをもと住んでいた国に帰さないことを意味しています。
外国に行くこと について事前にもう一方の親から同意を得ていても約束した日までに元いた国に戻らなければ「留置」になります。
ハーグ条約は、子どもを「連れ去り」や「留置」があった場合に、その前に生活していた常居所地国に返還することを目的としています。
5. 留置への同意とは?
ハーグ条約による子の返還事件では、以下が、返還拒否ができる類型とされています。
<ハーグ条約 子の返還事件の返還拒否事由>
・返還申立てが、連れ去りのとき又は留置の開始時から1年を経過した後にされ、かつ、子が新たな環境に適応していること
・残された親が、連れ去りのとき又は留置の開始時に、子に対して現実に監護の権利を行使していなかったこと
・申立人が、連れ去りの前もしくは留置の開始の前にこれに同意し、又は、連れ去り後もしくは留置の開始後にこれを承諾したこと
・常居所地国に子を返還することによって、子の心身に害悪を及ぼすことその他子を堪え難い状況に置くこととなる重大な危険があること
・子が常居所地国に返還されることを拒否していること(子の年齢及び発達の程度に照らして子の意見を考慮することが適当な場合に限る)
・常居所地国に子を返還することが日本国における人権及び基本的自由の保護に関する基本原則により認められないものであること
このように、子の留置があった場合、申立人がそれに「同意」をしていると返還は拒否できるとされているのです。本件ではこれが認められるかが問題になっています。
6. この事案の結論
平成23年にオーストラリアで知り合って交際を開始したこの夫婦は、平成23年12月末頃からオーストラリアで同棲し、25年9月27日にオーストラリアで婚姻しています。母は婚姻後まもなく日本に帰国しました。父は、平成25年11月27日に来日して母の実家で住民登録し、母とその両親と同居を開始しました。
そして、長男Cが生まれました。長男C(子)はオーストラリア国籍を取得して日本とオーストラリアの二重国籍となりました。
父は、その後、単身でオーストラリアに戻って、7月26日にオーストラリアに自宅を購入し、母と子は、同年9月5日に日本を出国して翌6日オーストラリアに入国してその自宅で家族の同居を再開していました。
その後、平成27年5月に1か月程度子を連れて母が実家に帰省したいと言い、父もこれに同意したので10月に帰省し、そのとき同年11月13日発の日本からオーストラリアへの復路航空券を予約していました。
母は、同年11月初旬にオーストラリアには戻らないと言い出し、父がいったん日本に来ることとなり、母の復路の航空券の日程を平成28年1月15日に変更していました。平成28年1月15日に父のみオーストラリアに戻り、母子はそのまま日本に居住し続けている状態でした。
この事件では、子どもの常居所地国はどこかという点と、父が平成28年1月15日以降に子を日本に留置することに同意していたか(実施法28条1項3号の同意があったのか)が争点となりました。
実は、親子が国をまたいで移動を頻繁にすることは多く、かつ、どこに住むかを明確に決めないで夫婦生活をしているカップルも増えています。そういった国際的な活動が多くなっている現代では、子の常居所がどこにあるのかの判断は難しくなっています。
また、留置の場合、このままその国に住んでよいという「同意」があったのではないかも、争点になりやすいです。
7. 争点①に関する裁判所の判断:常居所は日本か、オーストラリアか?
「常居所とは、人が常時居住する場所で、単なる居所とは異なり、相当長期間にわたって居住する場所をいうものと解され、その認定は、居住年数、居住目的、居住状況等を総合的に勘案してすべきである。」と判断しました。これは、裁判所が通常の定義を用いているところです。
そして、裁判所は、合意書があった点について検討しました。父が単身でオーストラリアに戻ってまもなくの平成26年7月6日、「私たちは家族として2年間生活する。2年が経過したら、私たちは日本に移ってCが日本で育ち、日本の教育を受けられるようにする。」などと記載した合意書でした。しかし裁判所は「本件合意書は、その作成時点における合意内容を記載したものであると考えられるところ、母は、子と共にオーストラリアに平成26年9月6日に入国し、それから2年が経たない平成27年10月7日に子を連れて日本に帰国していること、本件合意書作成当時、子は、まだ生後5か月であり、その後、平成26年9月6日から平成27年10月7日までオーストラリアで生活しており、留置の開始は、当事者双方がオーストラリアへの帰路航空券の日程としていた平成28年1月15日の翌日である同月16日と考えられることなどからすると、子の常居所地国はオーストラリアであると認めることができる。」としました。
つまり、合意書では二年という決まった期間にしかオーストラリアに住まないという合意があったのであるから、常居所はオーストラリアにないという考えはとらなかったのです。
作成時点においては、2年はオーストラリアに暮らすという合意があったが、現実には2年より前に帰国をしており、この合意に沿って行動をしているとは思えないことから、この合意内容を重くみずに、平成28年1月の留置の開始時点で、すでに子が1年以上居住していたこと、復路チケットを購入していたことを、重くみたものと解されます。
8. 争点②に対する判断:父の留置への同意(法28条1項3号)があったのか
「母は、子については返還拒否事由たる「同意」があると主張していました。この点は母の主張を認めました。
「平成27年12月24日までは子を連れてオーストラリアに戻る等と主張していたが、翌25日、子について母から尋ねられた際「もし彼(子)が両方の国に住めないなら、彼はその母が住んでいるところに行く。」と述べた上、子をバイリンガルに育てるよう依頼し、母が日本で子を監護することを容認するに至った。そして、母は、同日の話合いによって、父が子を日本で養育することに同意したと考え、同日以降,市営住宅の申込みや子を通わせる保育園の入園手続をしていること、父は、同月末頃、母にクレジットカードとダイヤの婚約指輪を返還するよう要求していること、父は、平成28年1月6日、スカイプによる動画通話を円滑に行う目的でWiFiルーターを購入し、母実家のうち母と父及び子が使用していた寝室に設置していること、父と母は、同月12日頃から再び喧嘩をするようになり、父は、同月13日には近くのホテルに1泊しているが、父と母は、翌14日、子の誕生日祝いとして昼食と夕食をレストランでとり、子の誕生日である同月XX日の日付を写し込んだ記念写真を撮影した後、母は父及び子とともに電気店に行き、日本で使用するための携帯電話のSimカードを購入したが、父は特に異議を述べず、父と母は子を連れてAAA水族館に行き母は年間パスポートを購入し、父は、誕生日プレゼントとして、大型の箱に入ったブロックセットを子に贈っていること、父は、同月15日、単身オーストラリアに戻ることとして荷造りを行い、母の大型スーツケースをもらって、父の衣類等のほか、日本食や子が作成した工作の絵馬などを入れて、BBB国際空港に向かい、父は「私は2年以内に日本に戻って来られると思ったから、2014年9月にYYYに行った。そこに永久または2年より長く住むなんて考えたこともない。でも、今あなたは計画を変えた。だから私は戻る十分な勇気を持てない。ありがとう。昨日はすばらしい日々を過ごすことができた。今私は泣いている。」と述べ、父は「昨日は日本で経験した中で一番素敵な日だった。」と答え、母が「安全にね。あなたが私たちから遠くに行ってしまうなんて想像もできない。」と言うと、父は「僕は行ってしまう。安全にね。そしてCを安全に守って。」と答えて、父はオーストラリアに帰国していることは、前記認定のとおりである。これらの事実からすると,父としては,内心では不満を持っていたにせよ,母に対し,母と子が平成28年1月16日以降も日本に滞在することについて同意を与えており,法28条1項3号の同意があったということができる。」と同意があったことを、認定しました。
結果として、実施法28条1項3号の返還拒否事由があることから却下という結果となっています。